水墨画普及に尽力 平山郁夫氏に師事 日本で活躍する画家・傅益瑶さん

水墨画普及に尽力 平山郁夫氏に師事
日本で活躍する画家・傅益瑶さん

単濤=文

一人の中国人の女流画家が、日本で活躍している。中国近代水墨画の巨匠を父に持ち、日本に留学して美術を学んだ彼女は、仏教寺院の大壁画や日本伝統の祭りなどを描き、水墨画の新境地を開拓し続けている。そのかたわら、テレビの講座や展覧会を開催し、中日両国の文化の架け橋となっている。(肩書は当時のもの)

まず中国の古典の勉強から

傅益瑶さん(64)の父は中国の水墨画に新しい境地を拓いた傅抱石氏。幼いころは映画や演劇に夢中で、筆を持つ日が来るとは考えたこともなかった。「物心ついたころから、耳にするもの、目にするもの、全てが絵画でした。ほんとうに逃げ出したかった」

高校2年のとき、父とともに周恩来総理に面会するチャンスに恵まれた。絵の勉強が嫌いだと聞いた周総理は彼女にこう言った。「君には画家のお父さんがいるのだから、すばらしい境遇じゃないか。ぜひ絵画を学んで欲しいな」。この言葉は、彼女の心に深く刻まれた。

実のところ、父は、絵画を学ばせたいとは思ってはいたが、すぐに娘に筆を持たせることはしなかった。「国語の力をつけてこそ、絵画は上手にかける」という信念からだった。

1965年、南京師範学院中国語学部に入学し、古典文学を専攻した。間もなく、父が他界。そして、突如始まった文化大革命。彼女は大学を卒業するとすぐに、江蘇省睢寧県の農村に下放され、農作業をし、その後、農村の小学校の教師となった。「あのころは毎晩、大切にしていた父の画集を取り出しては眺めていました」と当時を回顧する。

農村での生活は辛いものだったが、広大な土地と大自然は、創作意欲をかき立てた。彼女は兄である傅小石さんの指導のもと、父の作品を臨写し、模写し、絵画を学び始めた。

 1978年のある日、新聞で自費留学に関する記事を見つけた。そのとき父がいつも言っていた言葉を思い出した。「中国文化は日本できちんと保存されている。留学するなら日本に行きなさい。日本に行くことは中国文化を捨てるのではなく、より深く知ることになる」

しかし当時、海外留学へ行ける人は極めて少なかった。母の羅時慧さんは、娘の日本留学に賛成し、国務院(政府)の指導者に手紙を書いた。当時の谷牧国務院副総理と廖承志全国人民代表大会常務委員会副委員長は、大いに重視してくれたが、芸術系の人材の国費留学は先例がないため、自費留学するよう提案された。このことを知った鄧小平副総理は、彼女の留学申請書にこう記した。「もし彼女が経済的に裕福でない場合、国費留学も許可する」

19791029日、32歳の彼女は、新中国成立後初めて日本に派遣される美術専攻の留学生として、東京に向かう飛行機に乗った。

日本の巨匠たちに師事

傅さんはまず武蔵野美術大学に留学した。この大学の前身は、父がかつて留学した東京帝国美術学院だった。1933年、父は、中国の現代絵画の基礎を築いた徐悲鴻氏の助力で、この学院で金原省吾氏に師事した。そのせいもあって彼女は、初めての異国だったにもかかわらず、それほど不安を感じなかった。

 武蔵野美術大学で、著名な画家の塩出英雄氏について、美術史と日本画を専攻した。懸命に学びながらも、水墨画の創作をあきらめなかった。「中国文化と中国の水墨画が私にとっての『文化的信仰』です。これを支えにしてこそ、私は日本でしっかりやっていけました」

1983年、武蔵野美術大学を卒業後、引き続き日本で勉強する道を選び、東京芸術大学に入学した。そこで彼女は自身の芸術人生の中での最も重要な師――平山郁夫氏に出会った。

平山氏は中国と中国文化に対して造詣が深かった。彼は敦煌芸術を研究し、シルクロードを題材にした一連の作品を描き、中国と日本の文化交流の推進に積極的だった。平山氏について敦煌へ写生に行った彼女は、これまでに感じたことのなかった「悟り」を開いた。「どこまでも続く黄土高原を目の前にして、私は歴史の蓄積を感じました。沙漠の中に立って、シルクロードが文化を伝えた意味を悟ったのです」

平山氏は彼女の中国文化に関する知識を高く評価し、手を取って絵画を教えた。「傅さんはやると決めたら、周りからどう見られようとやり続ける。こういう気持ちで日中文化交流の事業を行うなら、必ず良い結果が得られる」と平山氏は評価した。

 大寺院に大壁画を描く

平山氏の影響もあって、仏教芸術に強い興味を持つようになり、時間があれば日本各地の寺を見て回った。「日本のお寺は、まるで水墨画の大宝庫です」と彼女は言う。「お寺の壁に描かれた水墨画から、中国文化と日本の歴史の融合を感じることができます」

ある日、友人の紹介で、長野県の天台宗長楽寺の壁画を描く機会が与えられた。長楽寺の半田孝淳大僧正は、こんな若い女流画家が壁画を描くことができるのかと心配だった。6日間、寝食も忘れて壁画を描き続けたが、半田大僧正も終始、それに付き添った。半田大僧正は彼女の真面目な仕事ぶりに深く感動した。それ以来、半田大僧正は彼女を物心両面で助け、「日本の父親」のような存在となった。

 1988年、天台宗総本山の比叡山開山1200年に合わせ、横浜市の安禅院円満寺が新たに大本堂を建立することになった。半田大僧正の推薦により、彼女は本堂の二面の大壁画を描くことになった。大壁画はそれぞれ高さ5㍍、幅4㍍もあった。

傅さんは考えた。天台宗の発祥地は、中国では浙江省台州の天台山、日本では京都の比叡山。これを壁画の一面ずつに描くことにしようと。そこで現地に行き、天台山国清寺と比叡山延暦寺の山の中を僧侶とともに歩き回り、それぞれの山の特徴をつかんだ。

「描きはじめてからの50日間、食べる間も寝る間も惜しんで描くことに集中しました。記憶の中の感動が、まるで蚕が糸を吐くように止めどなくあふれ出てきました」と彼女。こうして『比叡山延暦寺』と『天台山国清寺』の大壁画が完成した。

この作品が世に出ると、大きな反響を呼んだ。日本の美術評論家は「傅益瑶さんは新しい仏教空間を創造した」と評価し、山田恵諦全日本仏教会会長、天台宗座主は「傅さんの絵画は見る人の心を打つ。これはすばらしい功徳」と語った。宗教界と芸術界から認められ、彼女は日本の美術界で地位を築くことができた。まもなく、延暦寺の小林隆彰執行と著名美術評論家、河北倫明氏の推薦で、彼女は、延暦寺の巨大壁画『仏教東漸図』を描くという大仕事に取り組むことになった。

 当時、延暦寺は国宝殿を建立したばかりで、小林執行はその国宝殿に仏教東伝に関する壁画を設置したいと考えていた。これを聞いたある檀家が、2000万円を寄付したいと申し出た。しかし、傅さんが描き始めようとしたとき、寄付を承諾していた檀家の事情が変わり、資金を出せなくなってしまった。小林執行は「もう描くのをやめますか」と彼女に聞いた。しかし彼女は「それでも描きます。壁面さえくだされば何も要りません」と答えた。彼女の心の中には、この仕事を引き受けてから4年間をかけて、仏教東伝の歴史を踏まえた構想がすでにできあがっていたのだった。

傅さんの決意は延暦寺の人々を感動させた。資金を集める方法を考え、ほどなく資金が集まった。一年後、彼女は幅12㍍、高さ2.6㍍の巨大壁画『仏教東漸図』が完成した。

日本の祭りを体感する

1986年、東京都立川市に住んでいた傅さんは「立川12景」の水墨画を創作しようと思った。ある日、地元のお祭りに出くわした。人々は神社の前で伝統的な鳳凰の舞を舞っていた。彼女はその光景に強く引きつけられながら、その場で『鳳凰の舞』というタイトルの絵を描いた。この絵は彼女が開いた「立川12景展」の中でも特に好評を得た。  その後、立川市長から、『民間祭12景』を描いてほしいとの依頼があった。「これは日本文化に深く接する絶好のチャンスだ」と思い、ためらわずに引き受けた。

 傅さんは日本各地の祭りを見て回った。彼女が選んだ方法は、まず祭りに飛び込み、体感するやり方だった。 兵庫県姫路市で「灘のけんか祭り」を体験したとき、御神輿を担ぐ男たちとともに飛び跳ね、大声で叫んでいた。秋田県男鹿市の「ナマハゲ」に参加したときは、お面をかぶり、地元の人々と酒を飲みながら歓談した。彼女は「こんなふうに実際に参加しなくては、日本という民族と日本の社会をより深く理解できません」と言っている。

『ねぶた祭』『三社祭』『竿燈祭』など、12の祭りの36作品が相次いで傅さんの筆から誕生した。これらの作品は『五彩12祭』と命名された。

 1994年、長野県の諏訪神社の依頼を受け、大型の水墨画『諏訪神社御柱祭』を描いた。この作品は白井永二神社本庁総長の高い評価を得て、翌年の「神道文化奨励賞」を獲得した。傅さんはこの賞が設けられて以来、初めて受賞した外国人画家だった。

お寺の壁画から伝統的な祭りまで、傅さんは絶えず日本文化と社会に入り込み、新しい領域に挑戦し続けてきた。絵画の創作以外に、NHK教育TVの番組にも出演し、水墨画の技法を指導した。2011年の東日本大震災後、NHK放送博物館で被災地の人々を元気付けるため、「日本の祭りの魅力」水墨画講座を開いた。中日国交正常化40周年にあたる今年、彼女は東京中国文化センターで、日本の祭りに関する作品展も計画している。

 傅さんは自分の仕事についてこのように考えている。

「幼いころから父に『文化人』になりなさいと教えられていました。『文化への追求』と『文化への貢献』という使命感をいつも持っています。自分が描いた水墨画は、日本人の生活を描き出したことによって、日本人に受け入れられ、そして中日文化の融合はさらに深まって、心にしみる交流ができたと思います。このことを誇りに感じています」 (関係HPは下記にリンクしてください。)

http://www.peoplechina.com.cn/zhongrijiaoliu/2012-04/27/content_449347.htm